たぬきのぱんやさんにっき

おいしいこと、季節のこと、思うこと

厚木市の自宅と東京でパン教室をしています。

パン教室 うつせみキッチンのブログはこちら

友だち追加

自己肯定感を育むこどもパン教室がライフワークです。ぱんだぬきの日常のあれこれ、料理、ピアノ、絵本の読み聞かせなどについてを飾らず書き綴りたいと思っています。

私の「平成」

今週のお題「平成を振り返る」

f:id:pandanukichen:20190406230421j:plain

こんにちは、ぱんだぬきです。

 

先日、国立公文書館で撮った写真です。

あの「平成」の原本です。

  

平成元年、ぱんだぬきは独身の会社員でした。

化学会社の研究所で液晶材料に携わっていました。

翌平成2年に結婚して東京生まれ東京育ちが初めて実家を離れて

夫の勤務先と私の勤務先の間にある横浜に住みました。

当初、私の通勤時間は90分でした。

 

平成4年に長男が生まれて退職し、専業母になりました。

それから、ここ神奈川県厚木市に引っ越してきました。

厚木で二人産まれて、三児の母となりました。

 

車の運転免許を持たないぱんだぬきは

当時ひたすらベビーカーを押して

歩いて暮らしていました。

子どもを連れて近くの生協のミニ店舗まで

今では5分の道のりを30分かかる暮らしでした。

近所にパン屋さんが無いし、

牛乳や卵やトマトとパンを一緒に買うと

パンなんかいっつも潰れてしまいます。

 

それじゃあ!とぱんだぬきは

パンを焼く暮らしを始めたのです。

最初は、もっていたシャープのオーブンレンジに

パン焼き機能があったので

自動焼きから始まったのです。

自動で焼いたパンは羽の穴があるのが嫌で

だんだんと成形して焼くようになりました。

 

末っ子が生まれると、三人を連れて買い物は大変で、

生まれて初めて自分の自転車を買い、

ちょっとなら子どもたちに留守番させて

買い物に行って来られるようになりました。

歩くに比べて早いこと!

 

まん中の娘が幼稚園児だった平成10年ごろ

幼稚園のお母さん仲間と料理サークルを始めました。

毎月一回、ぱんだぬきがレシピを書いて、

お当番の人が食材を用意して

公民館の調理室でみんなで料理しました。

その会はメンバーの出入りもありつつ10年ほど続きました。

 

大勢の前で説明しながら料理をするのも、

毎月新作のレシピを作るのはいい勉強になりました。

末っ子を連れての講師だったので、

末っ子はみんなにかわいがられて育ちました。

何より、たくさんの人との出会いがあり、

一緒に作業したり食事したりすることを通じて

たくさんの繋がりを作るお手伝いが出来たことが

今のぱんだぬきにつながっていると思います。

 

平成12年、下の子が幼稚園に入ると、

少し自分の時間が出来ました。

まず、駅前のABCクッキングへ、

パンとケーキを習いに行きました。

ABCは初級コースだけで卒業し、

次はもう少し足を延ばして、

JHBSのパンスクールに通いました。

同時にピアノの先生も探してピアノも再開。

 

そうこうしているとき、

料理サークルの仲間に乞われる形で

子どものためのパン教室が始まったのです。

末っ子が5歳の頃でした。

 

幼稚園や小学校の役員をしたり、

三年ごとに入学・卒業の年が来て

受験が重なると塾代もかさんだり。

そのたびにダイエットして

スーツに身体をあわせたり。

 

パン教室も試行錯誤の連続でした。

実家の親が倒れて、急きょお休みすることになって

うまく連絡がつかず、結果すっぽかす形になってしまったり。

通っていた生徒さんも親御さんも

心を広く持って、ぱんだぬきを支えてくださいました。

ありがたい限りです。

 

我が子たちも、教室があることで

いろいろ不都合があったと思います。

子どもは親を選べませんから、

随分我慢させられても、我慢するしかないですから。

大した反抗もせず、よく協力してくれたと思います。

こちらもありがたい限りです。

 

そして、平成が終わろうとしている今

子どもたちは皆成人し、二人は結婚もして、

また、平成二年と同じ夫さんとの暮らしに戻りました。

振出しに戻った感じでしょうか。

 

平成30年間でぱんだぬきは

夫さんと出会って

三人の子どもを授かり

ピアノという生涯の友を得

こどもパンという誇れる仕事を手にしました。

 

昭和の時代のぱんだぬきは

こんなに充実していませんでした。

昭和の自分にはたくさんの後悔があります。

 

それに比べて平成は、

随分頑張ってきたと自分で自分を褒められます。

ぱんだぬきにとっては充実の「平成」

よかったな、と思っています。

 

「令和」がさらによい思い出になるよう

後悔のない、無理のない、楽しい

そしてできれば誰かのためになる

よい暮らしをしたいものです。