たぬきのぱんやさんにっき

おいしいこと、季節のこと、思うこと

厚木市の自宅と東京でパン教室をしています。

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自己肯定感を育むこどもパン教室がライフワークです。ぱんだぬきの日常のあれこれ、料理、ピアノ、絵本の読み聞かせなどについてを飾らず書き綴りたいと思っています。

思い出の味

お題「思い出の味」

お題スロットを回してみました。一回、回すと「思い出の味」

そしたら、目の前に45年前の光景が思い浮かびました。

 

思い出に残る祖母の味とくらし

私の母は、料理が下手でした。

父と同居の祖母には好き嫌いが多い上に

家計に余裕が無かったからでもありますが、

それ以上に母の育った家の食事が婚家と合わなかったのでしょう。

私は母の味を全くと言っていいほど引き継いでいません。

 

母の実家は千葉の牧場の中にありました。

牧場と言っても牛はおらず、競馬馬がいました。

母方の祖母の兄の経営する牧場の中の小さな平屋でした。

既に現役を引退した祖父母はひっそり暮らしていました。

 

姉妹で祖母宅に宿泊

母は実家に泊まることはほとんどなかったのですが、

小学生の頃、何回か私たち姉妹だけで泊まりに行ったことがあります。

祖母は北海道の大きな牧場の御嬢さんだった人です。

プロテスタントで、毎日曜日には教会でオルガンを弾いていました。

また自宅で小学生数人に英語を教えていました。

 英語の時は私たち姉妹は「ハウス」状態でキッチンでずっと待っており

どんなレッスンがされているのか、興味はあれど解りません。

 

その英語教室にはお茶の時間があって、

祖母は途中でお茶とおやつを取りにキッチンへ戻ってきます。

レッスンに入れてもらえませんでしたが、おやつはもらえました。

祖母の手作りのクッキーやケーキです。

そう、この光景が心に残り、私の今のパン教室の原型となりました。

 

祖母の焼くお菓子

 

祖母の焼くお菓子はアメリカンなものでした。

彼女のレシピ本は写真が少しだけ入った洋書で、

レシピを日本語に訳しながら読み上げお菓子を焼くのでした。

計りはカップとスプンだけで、重さを計った覚えはありません。

 

祖母の家で一緒にお菓子を焼くことの楽しかったこと!

私の家にはオーブンもなかったから、

ケーキやクッキーができるって夢の様でした。

英語の本をブツブツ読んで、教えてくれる祖母は魔法使いのよう。

古い中の見えない年季の入ったオーブン。

ドロドロの生地を入れて、待つこと小一時間で

ふわっといい匂いのケーキが出てきます。

年季の入った、卓上オーブン

残念なことに、ケーキは生焼けなことが多かったです。

たぶん、本に書いてある時間でオーブンから出していたのでしょう。

焼き具合の確認法も知らなかったかもしれないし

せっかちな祖母は待ちきれなかったのかもしれない。

今思えば、当時日本にあった家庭用オーブンは火力も弱く

大きなアメリカのオーブンに合わせた書かれていた時間 では

焼き上がらなかったに違いないです。

レシピのスプンやカップの規格も日本の物とは違ったはず。

その中でよく焼いていたなあ、と思います。

 

生焼けのケーキに飾り付け 

 

ケーキを冷ます間に、いつもアイシングを用意しました。

家では見たことのない、粉砂糖と卵白を合わせるものが多かったです。

そしてやはり家では見たことのなかった、

色とりどりのスプレーやアラザン、すみれやミモザの砂糖漬けなど。

ケーキが少し冷めるとアイシングを掛けて、トッピングを飾りました。

ケーキがちゃんと冷めるのも待てないので

いつも色が流れていたように思います。

 

使っていたのはバターではなく安価なマーガリン。

だいたいいつもちょっと生焼け。

子どもの思うままに掛けたスプレーの色は滲んで、

・・・・ケーキの姿はご想像にお任せします。

 

それでも、目の前に出来上がるホールケーキは

ウキウキするものでした。

すぐに切って食べました。

少しあったかくて、少し生焼け。

私の思い出の味です。

 

 

自慢の祖母だった

 

祖母とのお菓子作りのことを作文に書いたことがありました。

担任の先生がすばらしいと言って、

クラス全員の前で音読したのを覚えています。

私の大好きな祖母でした。

 

 わたしの一番の思い出の味は

アメリカンな生焼けのケーキです。